『罪と罰』は、ロシアの作家ドストエフスキーが書いた小説です。この本は、人間の心の中にある葛藤や罪の意識を描いています。中学生の時にはひどく性格の悪い主人公に全く共感出来ず、始終イライラしてしまい、楽しむところもなく読み終えた記憶。
中学生の娘が読みたいというので、先日中古の文庫本を手に入れたのを機に読み直してみました。
1. 孤独と苦悩の描写
まず、ラスコリニコフの孤独と苦悩の描写が味わい深い。認められたいけれど認められない。孤独はつらいけれども、自分が特別でありたいというエゴが邪魔をして迎合するようなこともできない。もっと器用に生きなさいよと言ってあげたいですが、それをしたら彼自身の何かが奪われてしまうようで動けないんだろうなぁと思いました。若さゆえのとがりだな。
2. 犯罪の正当化と罪の意識
序盤の衝撃ポイント。ラスコリニコフが残虐な犯罪を正当化し、罪の意識を感じないというところ。中学生の時に全く受け入れられなかったポイントでした。しかし今読んでみると、必死に勉学に励み、立てた仮説が認められず、固執し、孤立し、その考えを本当に信じているというよりも、自分の考えを誰かに認めてもらいたいという気持ちが強いのかなぁと感じました。彼の犯した犯罪は到底正当化できるものではないし、頭を使いすぎて逆に馬鹿になっちゃっている感じが痛々しいんですが。でも単に悪い奴っていう描き方ではなくて、複雑な感情が交錯していることが伝わってくるところがドストエフスキーのすごいところ。
3. 犯人視点で追い詰められていくハラハラ感
スヴィドリガイノフっていうとぼけた刑事さんが出てくるんですが、結構推理で追詰めてきて、これがコロンボ刑事とか古畑任三郎感で、いつばれるんだろうというハラハラ感とやりとりが普通にかなり面白いです。
4. 愛と救済の力
でもね~。最終的にはソーニャという天使のような娘との出会いがラスコリニコフの心を変えていくんですよね。とにかくこのソーニャちゃんがひたすら苦労人でめっちゃいい子で愛があって。現実感はないんですが。笑。でも人って価値観を変える事はむずかしいものだし、ソーニャと共鳴できたということは、たぶん主人公の中にも見えない奥底にソーニャと同じ人間の本質的な愛というか、そういう価値観が眠っていて、それを呼び水みたいにソーニャが引出してくれたのかなと思いました。
★まとめ★
『罪と罰』は、中学生のころに読んだときは、主人公に対して嫌な印象しか持てず、楽しめなかったのですが、読み直してみると人間の内面をありのままに書きだすことで、価値観が変わっていく様を描きたかったのかなぁ。そのまま書くから醜い面も見えるし、美しい面も見える。興味深かったです。ドストエフスキーが生きた時代は、個人の力ではどうしようもない貧しさと既存の価値観からの変遷の中で、大きく変わる社会の渦の中に何を思ったのかという事もうかがい知れるかもしれません。翻って、私が生きている、まさに今の時代も、価値観が大きく変わっていることを感じているんですよね。自分が持っている価値観とは何か、何に影響された価値観なのか、本当に守らなければならない人間の本質ってなんだろう。なんてことを考えたりしました。『罪と罰』の構想をまとめたのが、ドストエフスキー44歳の時だそうです。歳近いからわかるようになったっていうのもあるのかな…。ちなみに、中学生の娘は当時の私と違い、めちゃくちゃ面白い!!と言っておりますが。笑
人生2回目の『罪と罰』面白かったです。しばらくしてもう一回読んでみたら、また何か発見があるかも。皆様もぜひ。
参考文献:『罪と罰』ドストエフスキー
★おまけ★
『罪と罰』が生まれた時代1865年ごろの背景も知るとより味わい深いです。調べてみるのも面白いかも。
- 農奴解放と社会的混乱:
- 1861年にアレクサンドル2世が農奴解放令を発令し、農奴たちは流浪の民となって都市に押し寄せました。この結果、ペテルブルグの社会は混乱し、犯罪件数が増加しました。この堕落と混沌に満ちた首都が、『罪と罰』の舞台となりました。
- 人間の複雑な心理と社会的不安:
- 19世紀のロシアは、農奴制が存続しており、社会的な二極化が進行していました。解放された農奴たちは土地を持たず、都市に流れ着きました。社会的不安や経済的矛盾が人々の心を蝕み、犯罪が増加しました。
- ドストエフスキーの創作態度と影響:
- ドストエフスキーは、この時代の混沌と人間の心の葛藤を作品に反映させました。彼の筆致は、人間の複雑さを描く力に感銘を与え、後世の文学にも影響を与えました。