娘が教室に行けなくなった日は、5年生の夏休み明けからでした。
お腹が痛いから休むといいだして数日間。流石にまずいと思って、当時、私も夫もなんとか娘を学校に連れて行く事を頑張っていました。
学校に行かない子供たちがいるということは知っていましたし、それ自体が悪いことだと思っていたわけじゃないです。
ただ、娘に話を聞いても、お腹が痛いだけで、学校には行きたいと言っていたのです。今思えば本心だったのか、私達両親の心を汲み取っての事だったのか、はたまた世間一般の空気をよんだのかはわかりません。
当時娘は、ひどい便秘でしたので、それが治りさえすれば学校に行けるという思いもありました。
当時レントゲンを撮ったとき、娘のお腹にはパンパンに便が詰まっていて、それを柔らかくして、下剤や浣腸で出すという治療でした。
でも、中々治らなくて、学校には行っても、便意があるので、ずっとトイレにこもって出てこない。という状況でした。
血液検査もして、甲状腺のホルモンが不足していてそれが原因かもしれないと言われてその治療もしたりしました。
そしてある日耳が聞こえないと言い出しました。慌てて耳鼻科や大学病院で検査しましたが異常なし。先生には精神的なことが関係する事もあると言われました。その後、目も見えない耳も聞こえないという事が何度か起こりました。症状は数分で治ります。それも検査しましたが何も結果が出ませんでした。
当時はどうしても気づかなかったですが、あとから答え合わせをすると、学校に行くことにストレスがあり、そのストレスのせいで便秘になり、そのせいでトイレにこもり、そのせいで学校にますます居場所がなくなるという状況。それでも行かなきゃと本人は思ってるけど、行こうとすると今度は目と耳まで機能しなくなる。
当時娘には学童保育所に友達がいて、一緒に漫画を描いたりしていましたが、人数が多すぎて高学年になると出されてしまい、その心の支えのような友達と離れてしまいました。
他にも友達はいましたし、家にも遊びに来てたりしたので、よくわかりませんでした。わかりやすくいじめられたりというのは本当に無かったのではないかなと思います。優しくて少し過敏なほどに人を傷付けないように人と接する、少し大人びた事を言う娘の事を好きで一緒にいたいという楽しい友達に囲まれているように見えました。
まあ、思春期の年頃の女の子達と上手くやるというのはそれだけで難しいものですけどね。
その後は、市でやっている不登校支援のスクールを担任の先生に紹介してもらって通い、並行して中学校併設の相談室にも通うようになりました。
その相談室である方に会いました。
その方は、その相談室の職員の方で元々大学で陶芸をされていた方でした。外部からの出向なのか学校職員の方なのか詳しい事はわからないのですが、仮にAさんとします。
娘の絵が大好きだと言ってくれて、相談室では絵をずっと描かせてくれました。お勉強もしなさいって言いながらも、娘は絵を描きたかったから、それを見守ってくれてた感じです。いつも娘の絵のファンでいてくれました。
娘が家で描いて持っていった夜空の絵は3年経った今も相談室に飾ってくれています。私自身がAさんを大好きになり、学校で用事があると少し顔を出して娘の話を聞いてもらったり、相談室での様子を教えてもらったりしました。
相談室にはスクールカウンセラーの方も来ていて話を色々聞いてもらっていましたが、カウンセラーの方は月に一度くらいしか話すチャンスもなく、Aさんに話を聞いてもらう事の方が多かったせいか、なんとなく親しみや信頼が増えていきました。
Aさんは中学校に入学するときに先生方との面談に一緒に立ち会ってくれることになったんですが(その相談室は、中学校の併設だったので)その時に、数字が出てる方が話が通りやすいからと病院で診断してもらう方がいいとアドバイスがありました。
カウンセラーの方もこれから方針を決めるのに一度診断が必要とのことでした。
信頼するAさんのアドバイスでしたが、それには正直すごく抵抗がありました。
娘はマイペースでのんびりしてて、勉強は、得意でもないけど、そこまで成績が悪かったことは無かったし苦労しながらも何とかやってました。
でも、診断したら何かしらネガティブな結果がつくかもしれないし、何か診断がつくことで将来に影響がないかと心配だったんです。
私自身も娘と同じ傾向があったけど、工夫しながらうまくやっていたから、それを娘もやっていければいいかなと思ってたんです。
それでも診断を受けました。
大学病院に数日通ってペーパーテストや面談をした結果、発達障害の診断はつきませんでしたが、グレーゾーンというやつでした。
ほぼ予想通りの娘の特徴が数字ででました。短期記憶が少なめで、人に何か指示された時の注意力が不足している。
言語力は優れていて、受け答えが上手いので、例えば○時にどこに待ち合わせね。その時は○○を持ってきてね。
というようなやり取りをしたのに、記憶が曖昧だから時間に遅れたり、忘れ物をしたりといった状態になってしまう。
受け答えが上手くできるので、相手は不誠実に受け取ってしまって、人間関係が悪くなるんです。
私はそれを数字で見せられたとき、もっと早く診断を受ければ良かったと後悔しました。学校で一日中トイレに篭っていた娘の苦しさを思いました。あの時診断受けてたらと思いました。その時点で通えなくなって一年が経ってました。
Aさんの言った通り、学校の対応は診断が出た途端に変わりました。学校も組織ですから、上に話を通しやすくなるんでしょうね。会社と同じだなと思いました。笑
具体的には娘が字を書くのがおそく、漢字を覚えるのが苦手ということで、一部宿題が免除されたり(成績は悪くつくけど、叱責はないと言うこと)しました。
基本的には教室にいかなくても、相談室に通う事を許可されました。
当時、長い間学校に行かなきゃいけない呪縛で無理をして心に傷を負ってしまっていた娘は、今思うと暗く重い顔をしていました。笑ったり普通に話したりしてたんですけどね。
鬱病のような状態だと思います。鬱病の診断はでてませんが。死にたいという気持ちを打ち明けられたことがありました。
死にたいと言われた時、あ、なんか違う。とやっと私の世界の見え方が変わりました。
死んでしまうくらいなら、学校なんか行く必要がないです。そんなことはずっと思ってました。でも娘が行きたいって言ってたから行かせてあげようと思ってたんです。
でも違いました。行かせちゃダメだと思いました。娘の本当の気持ちを娘の身体が何度も教えてくれてたんですけどね。
その時から私はいろんな価値観が全部ひっくり返って、学校にはむしろ行かないようにして、人間関係だけは作れるようにしようという作戦に切り替えました。
今は、相談室と少人数の塾と絵画教室に行っています。絵の教室は実は私も通ってまして、最初は別の学生向けクラスだったのですが、一緒のクラスがいいという事で、大人のクラスに一緒に通ってます。
相談室は学校の出席にはなりますが、教室には行きません。行けるならいっても良いのですが、行きたくないと素直に言うようななりました。
これが正解なのかどうかもわからないんです。でも、少なくとも娘はとても明るくなりました。身体の不調もすっかりなくなりました。ただ、かなり夜型になっているのでそれは今の課題です。
色んな方がアドバイスしてくれるんです。以前の私の価値観を持った人です。だから私も理解はできます。伝えるのは難しいし、何が正解かなんてわからない状態で無責任に考えを押し付ける事もしたくないので、そうですね〜。と素直に聞いたふりをしています。
「普通」ではない事をやるのは不安です。ただ「普通」に学校に行ってたって不安だと思います。
恐らく、学校に行けるようになったらおめでとうって言われるんだと思いますが、最近はそれに違和感すら感じてます。
学校に行かない事は悪い事じゃないし、行かない人生があったって良い。娘が不登校になる前もそう思っていました。
でも今は見え方が少し違うんです。学校に行くことが知らないうちに強制され、それが自分の意思であると勘違いしてしまう場合があるということ。そのことでその子自身の心や身体を壊してしまう事もあるってこと。
学校に行かない方がいい場合があるという事をこちらから伝える必要があるんです。
会社でつらい思いをしてるのに辞められない人もそうですよね。行くべきという見えないバイアスがあるから、私も仕事を続けてられるところもあるので、一概に悪でもないんですが。。。
正直、学校に行った方がコスパは良いんですけどね。無料で全てが揃う場所ですから。
ただ、学校に行く事が目標じゃないことは確かです。将来自分で稼いでごはんを食べられるようになる事が目標。人生を幸せにすごすことが目標。それを見据えた場合、今は学校の教室に行く事は逆効果なんです。月に一回小児科の発達障害の先生のところにも通ってますが、良い調子になってきましたねと言われます。ゆっくりやっていきましょうと。
今を娘と試行錯誤しながら楽しく生きています。
ちなみにわたしには二人娘がおりまして、今のお話はお姉ちゃんの方。
妹の方は、がっつり学校ライフを満喫しています。少しシャイですが、学校に必要な能力を全て兼ね備えております。笑
要は向き不向きの問題。
それぞれのこどもたちが努力して越えられる自分用の壁を乗り越えて生きていけるように母は試行錯誤しながら見守っていきます。